私の中の高知東生さんは遊びもお金の使い方も何もかも派手で快活で義理人情に厚く任侠映画の登場人物のようなイメージでした。カッコイイ人。表舞台に生きる人だと思っていました。
会ったこともないのに勝手なイメージです(^-^;
義理の親の介護で引退とテレビで見た時はイメージになかったけど、サポートにまわるって高島礼子さんへの愛情が半端なく深い人なんだなって思ったところに薬物で逮捕とかって意味わからんって思って勝手に幻滅していました。
今年になってたまたま高知東生さんのツイートが流れてきて「あれ?こんな素直な人だっけ?」と昔のヤンチャなイメージが崩壊しました。
私がイメージしていた高知東生さんは虚勢を張ってたんだ。
高知東生さんのツイートはハッと気づかされたり自分を振り返り見つめ直すきっかけになったり。素直な呟きだからこちらも素直に心が反応するんだろうな。感謝の言葉もいっぱいで涙が滲んでくるのです。
『生き直す』は高知東生さんの自叙伝です。幼少期から現在の薬物依存症の回復までリアルな半生が綴ってありました。
読んで気になったのは「薬物のイメージが違う!」ってこと。
薬物って一度手を出せば止められないって廃人状態になるんじゃないの?
「人間辞めますか?それとも薬物を止めますか?」みたいな一度でも薬物に手を出してしまうと一生薬物の奴隷のようになって判断力も何もなくなり人間として終わってしまう…みたいなイメージを持っていました。
みなさんはどうですか?薬物にどんなイメージを持っていますか?
高知さんの初めて薬物を使ったときの感想が「なんだこれ?」という感じで特に快感も衝撃もなかったと。
このような最初の薬物体験を「拍子抜けの体験」と言うそうです。そのまんまやん!とツッコミ層になるネーミングですけど、私たちが知っている薬物のイメージと違うってことです。
主治医の松本俊彦先生の解説で薬物依存症の患者でゾンビみたいな人には出会ったことがないと。真逆でおしゃれで人を惹きつける魅力的な人、仕事熱心な人ばかりだったと。
キラキラと輝いている人たちなのです。だから憧れの存在の人に勧められて初めて薬物を体験する。同じ秘密を持った仲間になるという強い絆を感じるわけです。
薬物はダークな世界のもので普段の生活では出会うことがない存在でどっか遠いところ。他人事というイメージもあります。
薬物にさえ手を出さなければ大丈夫ってわけじゃない。アルコールやギャンブル、ゲームなど依存する先は身近にあります。誰でも依存症という病気になる。
依存症は思っている以上に身近な病気
依存症は遠い存在じゃないってこと。
薬物だけじゃない。ギャンブルだってアルコールだって買い物だって依存症がある。
強い人間とか弱い人間とか関係ない。
ってか、何をもって人間性の強さ弱さを語れるのだろう。
なにが辛いって依存症になったら一度の失敗でその人の人権を認めないぐらい日本の風潮があるってこと。
失敗したって人間が終わるわけじゃない。
自分を諦めない。
わたしも何度もちっぽけなことで挫けるけど、少し休んで頑張る。
勇気をもらいました。
高知東生さん、応援しています!
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